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大事と在家仏教徒

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八正道 大事と在家仏教徒

大事という言葉

小乗仏教は煩悩を全部、貪瞋癡とんじんちを全部切り捨てていこうという考え方なのです。
ところが、これやるには出家しなければできません。

私達はずいぶん昔からそのことを言ってるし考えているようなのです。
『徒然草』の五十九段にこのようなくだりがあります。
「大事を思ひ立たん人は、去りがたく心にかからん事の本意を遂げずして、さながら、捨つべきなり 」とあります。「生れた目的を見出すために出家しよう、と考える人は、どうしても心から離れないこと、気にかかって仕方がないということも、これをやり遂げ一段落付いてから、などとは考えずに、全部捨ててすぐに行動をおこすべきだ」というようなことになります。

つまり私達は「大事な品物」「大事な用件」「大事な人」「一大事」と私達は日常よく「大事」という言葉を使いますけど、このもともと、この「大事」という言葉は、仏教の中で使われており、さまざまな仏様が私達を救済するために出現することを言いました。
だからこのように出家する場合は、すぐに行動するのです。

例えば、家に帰って家内や家族と相談してから・・・というものではないのです。
すぐです。
出家というものはそういうものでもないし、絶対そんなこと出来ないのです。
出家したい方は妻帯の方を置いて来るのです。
貧瞋癡を無くそうと思う方、出家してください。
これで十分な貪瞋癡とんじんちの修行をするのです。

出家がなんとなく分かってきました。
でも、実際現実問題無理ですね、無理だろうと思います。
お釈迦様ならできるのでしょうが、我々はどれだけのものなのでしょか。
それは頭では分かるのですが物理的に出家することは難しいのです。
だから、なかなか貧瞋癡もなくならないし、貧瞋癡があるから我々も苦しむと分かっています。
難しいところです。

さて、大乗仏教はどうでしょうか。
お釈迦様の教えの心、精神を中心にしていこうとする人々の仏教を大乗仏教とよんでいます。
小乗仏教では今述べたように、滅することを説いてあります。綺麗に咲いている花を見て美しいと思うのは迷いである。だから迷いのもととして厳しく自分を修行し滅すると説くのに対して、大乗仏教は美しい人や花を見て美しいと感じるのは迷いではない。純粋に美しいと感じることを大切にしているのです。でも、その美しさに心をうばわれたり、捉われたりしていはいけないと説いているのです。つまり大乗仏教は、物事にとらわれない、おおらかな心、広い心、受け入れる心があります。そして、自分以外のことや他人を考えるという、目を外に外に向けての立場をとるのです。同じ教えでもずいぶん違います。

小乗仏教では家でおいしいもの食べてダメ。
結婚もダメ。
私欲のために我欲のために、世の中の様々な事をするから、自分の我欲のためにやる事はダメ。
いろいろ禁止事項がありました。

ところが、大乗仏教では、我欲じゃなくて人様のためになる行為をするのが八正道である訳でこう捉えたんです。
日本人がそのように捉えたんです。だからなにも出家しなくてもいいんだよ。おいしいものだって、そりゃおいしいもの食べなくちゃいけないんだけど、それまで制限することはない。せっかく、かわいいこもいるんだから結婚ぐらいはいいんじゃないと言って。人様の利益になったのだろう。その時に何を気軽にしたかというと、ここにベースにしたものが空なのです。

在家仏教徒

小乗仏教はお釈迦様の言ったことだけを信じて、それをお釈迦様が言ったことをまっとうするんだよと言っています。
お釈迦様の言ってることは絶対だという捉え方です。
ところが、そうではないのです。
この世の持っているお釈迦様が言った悟り、会得したものを基本にして出家をしないでもいいというこの考え方に大乗仏教は立ちました。そして、私が大乗が大変すばらしいと思うはここです。それは、私達、今日は皆さん在家仏教徒でしょう。しかしブッダの言ってることは通用するということです。
出家者だけのものではないのです。
生きとし生けるものすべてのものに対して通用するのです。
そこが大乗仏教の大変素晴らしいところです。
僧侶や寺院の中に居る人だけのものではなくて、私達のものでもあるのです。

私達は出家もしておりません。
在家ですから。
我々は大乗の空というものをベースに苦集滅道を会得していくという、こういう手法です。これを、私達は実践していく。
般若心経は智慧中の智慧です。
お釈迦様の原点なのです。見事に宇宙的世界観で構築したのが般若心経です。全部の智が入っております。その般若心経の巻頭に、経題から入れて6行目の下とこから2番目のとこに無苦集滅道ありますでしょう。無苦集滅道。この無苦集滅道の無のついてるという事は、大乗の苦集滅道の活用の仕方ですよという捉え方なのです。

苦集滅道を否定する方もいます。
そう捉える方はいますし、自由ですけど、これは大きな間違いです。
苦集滅道っていうのは、絶対の真理です。「これまでも、この世は全部絶対苦なんだから。だから苦集滅道もないんだよ。」などと。
こんな捉え方は、暴言もはなはだしいです。
でも、いったいどうやったら、人間豊かになれるのかって言いましたら、空だけになってしまうのです。
ですから、これは大変間違った空に溺れた考え方です。

そうではなくて、この時は、無苦集滅道というのは、この世の空なんだと、空と捉えて苦集滅道をしなさいよという事を言っているのです。
ですから、それは何を言ってるかというと、貪瞋癡とんじんちを滅しないで、八正道の協力者にしなさいよということを言っていることを忘れてはなりません。八正道の協力者に貪瞋癡をさせることです。貪瞋癡を失くせ失くせ、滅せよ滅せよ、という考え方はしてはいけないよ、ということなんです。

だから、無苦集滅道という苦集滅道として捉えてはいけません。
苦集滅道だけを結果の事実の真の原因は、貪瞋癡でそれを、解剖して八正道、ただこれを理解するための実践はいけませんという事です。ですから、ここに書いてある無苦集滅道は大変すばらしい言葉です。般若心経はまた別の機会に詳しくしますけど少しだけ必要なのでふれます。

摩訶般若波羅蜜多心経とあります。
この般若心経のこの般若心経は題名代わりになってる。在家の特徴なのです。私達と同じような世界、同じような立場に立って豊かな世界に行こうというタイトルでございます。そうなると、無苦集滅道という言葉が出て来る訳です。

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