成田山の無料占い

真理と思考

無料占い   サイトマップ

八正道 真理と思考

聖なる真理

素晴らしい事を説いたお釈迦様です。
それはいったいどういう事を説いたかというと、これが有名な初転法輪(しょてんぽうりん)というものです。

これはすばらしい経典です。
これがブッタの経典中の経典です。
この経典は最もシンプルで人間を豊かにする経典はこれしかありません。
これは後に経蔵、律蔵、論蔵と出てきますがそのうちの律蔵というものです。
律蔵の台本のところで最初の巻頭に近いところを飾るものなのです。

これはどこで説いたかというとブッダが35歳のときヴァーラーナスィーのサルナート(仏教の4大聖地の1つ。ルンビニーが生誕所。ブッダガヤが成道所。サールナートが初転法輪所。クシーナガラが涅槃所。)において説きました。
この初転法輪で最初にお釈迦様が自分の法を説いたその時の経典なのです。
実にわかりやすい教典でございます。

ブッタはカピラヴァストゥで国家を形成していた釈迦族の王族の出身です。
このカピラヴァストゥ国の城主シュッドーダナを父とし、隣国の同じ釈迦族のコーリヤの執政アヌシャーキャの娘・マーヤーを母として生まれました。
私生活において一子ラーフラをもうけたことで、もうよいだろうと思うのです。

そして、29歳の時、王宮を抜け出しました。
そして出家して6年の修行の間、苦行を積みました。
もう想像を絶する苦行をしました。
ウルヴェーラの林というところで苦行したわけです。
でもブッタは王族ですし王子ですから、急にそんな苦行するといっても周囲はみんな心配します。
きっとすごく止められたでしょうね。色々葛藤があったと思います。
そして、父・シュッドーダナはブッダの警護も兼ねて5人の沙門を同行させました。

6年苦行を積みました。
でも、それではこれではだめだとこの苦行をしても障害から開放する知恵は浮かばないと辞めてしまった。ブッタは、苦行だけでは悟りを得ることができないと分かった訳です。
そして、村娘のスジャータより乳がゆをもらい食べました。

そしてここで、体力を回復して心落着かせ悟りを開くのです。
近隣の森の大きな菩提樹下に座し、12月8日、遂に叡智を極め悟りを得て仏教が成道しました。
けど、それを見た5人の仲間は、もうブッダは堕落したと思うのです。
1人で修行してたのではなく仲間で修行していたのですから。
そして、頑張って食べ物食べないで苦行してきたのに、ブッタは乳がゆを食べてしまいました。
裏切られたと思ったでしょう。
堕落したと思ったでしょう。
だからブッタをおいて鹿野苑へ行ってしまったのでした。
落胆したのです。

しかし、ブッタは悟りを開いた。
この悟りは誰が誰に降りたか分かるでしょう。
そうしているうちに考えた結論は、そうだ一緒にやった仲間だったらこのことがわかるだろう。
そして270キロメートル7日間かけて仲間のところに行きました。
そして仲間と会うのですけれど、はじめ、この元修行仲間は、修行を捨てたブッタが遠くから来るのを見て、拒みました。
ブッタの言うことはもう駄目だと思っているのです。

けれど、近くに来るにつれすごくなったぞ、という形になりました。
ブッタはやはりそういう方なのです。
しっかりしていて、悟ったことで風格風貌も変わってきたのでしょう。
これが不思議なのです。

また、一緒に修行していた人達もブッタのすごさがすぐに分かるくらいですから、やはり、すごかったのだろうと思うのです。
ですから、ブッタが徐々に近づくにつれ、その堂々とした姿を見て畏敬の念を抱き、自然に立ち上がって座に迎えました。
自らがブッタであることを宣言したブッタはその教えを受けることを拒む元修行者を説得し、最初の説法をしました。
有名な初転法輪のところです。

その時説かれたブッタの最初の教えは次のようだったとされています。
経典には次のように述べられています。
「弟子達よ。
 これら2つの極端は出家した者が近づいてはならないものである。
 2つとは何であるか。
 それは1つには、もろもろの欲望の対象においての歓楽の生活に耽ることで、下劣で、卑しく、凡俗の者のすることであり、聖なる道を行う者のするものではなく、真の目的にそわないものである。
 また、それは二つには、自分をしめる事に耽ることで、苦しく、聖なる道を行う者のするものではなく、真の目的にそわないものである。
「弟子達よ、これらの二つの極端に近づくことなく、如来は中道を悟った。この中道は、真理を見る目を生じ、真理を知る知を生じ、心の静けさ、すぐれた智慧、正しい悟り、涅槃へと導く」

これは、矛盾する2つの極端な概念に偏らない自由な立場による実践をしようというものです。
たとえば、ブッタは厳しい苦行を6年間しました。
そのように、極端な厳しい修行だけすることではありません。
また、それと反対に、楽しいこと楽なことだけの快楽主義に走るのでもありません。
目的にかなった修行方法をとることを言ったのです。

じゃあ、極端じゃない行為とはどのようなものなのか。
どのような行為が中道なのか。
ブッタは「八正道」と呼ばれる教えを述べました。
「すなわち八つの正道である。

  1. 正見
  2. 正思
  3. 正語
  4. 正業
  5. 正命
  6. 正精進
  7. 正念
  8. 正定

 これらが如来の悟得せるところの中道であって、これは眼を開き、智を発し、寂静を得しめ、涅槃におもむかせるであろう。」

また、次に釈尊は仏教の根本的な教えである「四諦」と呼ばれる説法を述べました。
4つの聖なる真理のことです。
すなわち四諦(四聖諦)です。

  1. 苦諦
  2. 集諦
  3. 滅諦
  4. 道諦

苦しみに関する聖なる真理の第1弾は、苦聖諦。
この苦聖諦という真理はこれは、聖なる真理ですから、苦聖諦 、つまり苦しみを知るという事も聖なる真理なのです、ということです。ここのところが大事なのです。
この真理なのですから。

思考の停止

真理を簡単に言うと次のようになっています。
ブッタは次のように述べています。
「苦しみに関する聖なる真理とは次のようです。

 人生が苦であるということはすべてが苦しみであります。」
これは何を言っているかといいますと、前に述べたその結果の事実を言っている訳なのです。

ここから、1から繋がっていくこと。
ブッダは、前の所から生まれるところからそこから言っております。
きちんと生まれることの苦しみです。
そこから1へ戻ります。
老いることの苦しみです。
悩むことも苦しみであり、死ぬことも苦しみです。
憎いものたちと会う事も苦しみであるといっております。
愛する者達と別れることも苦しみです。
これは要するに執着をおこすことです。
心身環境のすべてが苦しみです。
それで逆にこういう難しい言葉は、中国人がこの原点からつくり上げた言葉なのです。
サンスクリット語で書いてあります。

これはインド語ですから、それを中国人がご自国の言葉に訳しました。
漢文に訳したのです。
中国人は、色々言われている国ですけれど。
きちんとこの古代インドサンスクリット語を自国の言葉に直したのです。
ですから苦労の末、仏教をもたらしたのです。

これらの言葉はすべてを表しています。
これから逃げようと思ってはいけません。
これをまずしっかりと知ることが大切なのです。
普通の人はほとんど分かっていないし分からないでしょう。
これはお釈迦様しか分からないことです。
私達はただ、嫌なものから逃げようと必死なのです。
正面からきちんととらえられない。
それが悲しいとこなのです。
分かっているけど、なかなか出来ないのです。
目を逸らしたいです。

そして、いつかは自分も死ぬものであるのに、お通夜なんかでは「あのばかやろう。なんで死んだ。」
一杯呑んでいうわけです。
自分だっていつかすぐ死ぬのに。
あのばかやろうなんてやっているわけです。
死に向かい会えない。
怖いのです。
恐ろしいのです。
目を逸らしたい。
知らないふりをしたい。
考えたくない。
思考の停止。
だから本当に、私達は真理を知らないのです。

無料占いに関するお問合せは下記にて承ります。

大本山成田山仙台分院
住所   :〒980-0845 宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉33−2
電話番号 :(022)225-8640
メール  :naritasan@sikaku.ne.jp

  

真理と思考このページのTOPに戻る