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苦集滅道 道

「道」とはなにか

人間は、もともと心が弱いものです。
その心を穏やかにしていれば病気にもなりにくいです。
しかし、その心を不安定にするものの代表として、お金があげられます。
今世の中が非常に乱れています。
これは拝金主義の社会になっているからに他なりません。

もう一つは、一番身近な人間関係である親族関係です。
赤の他人ではこうは行きませんが、親族だと切っても切れない関係である為、悩みも大きくなります。
さらに、病気もその一つにあげられます。
治りにくい病気にかかってしまっては、さすがに精神的に不安定になっても仕方ないでしょう。
また近年では、仕事に関することもその一つに加えられます。

このように、いろいろな物事で人間の心は悩みにさいなまれています。
そのため、平穏を保つのが難しくなっていますし、長生きもむずかしくなります。

それでも、多くの人は心を安心させた状態で生きていきたいと願うはずなので、そういった不安を取り除く方法を求めている人も多いでしょう。
当然のことながら、心を安心させるための方法は何通りも持っておいたほうがよいのではないかと思われます。
そのためには、「信じる」という、いわゆる信仰心が大事になってくるのです。
なぜなら、物を信じることにより、救われるからです。

また、物に関することではなくても神社やお寺など神聖な場所に行くことです。
そしてそこで、智恵(例えばお寺ならお釈迦様の知恵)を聞くというのも一つの手段です。
おそらく、これが最も基本的な手段といえるでしょう。
例えば、般若心経を唱えたり、不動明王に祈りをささげると心が和みますが、これは大変すばらしいことであると言えます。
実際、般若心経をずっと唱え続ければその人は幸せになれます。

さて、メインテーマは「道の智慧」と「八正道」についてです。
まずは、「道の智慧」についてですが皆さんが心のどこかで悩んでいることは智慧さえ分かれば、必ず悩みはどこかに飛んでいってしまいます。
普通、悩み事はさほどたいしたことが無いことが多いのですが、智慧についてよく知らない人にとってはあたかも重大な問題であるかのように思えてしまいます。
そのように物事を固定的に考え、そのうえでそれをなんとしても自分ひとりで解決することに固執してしまいます。
単純に考えれば、気楽に生きようと思うならば、これをやめればよいというだけです。

つまり、これと逆のことをやればいいということになり、このことを「空」といいます。
このことは、物事には全て実体が無い為、固定的に考えない(あるいは、こだわらない)と言うことを意味します。
こうやって物事を考えられれば、どんな困難が待ち受けていようとも心配なく乗り越えていくことが出来ます。
そもそも、こだわったところで解決に至ることは無いので、こだわる必要性は最初から無いのです。
仮に変なところにこだわってしまうと、精神的に病んでしまった挙句、病気になってしまうということになりかねません。

智慧を会得することとは、「空」が分かると言うことに他なりません。
つまり、この世の全てのものには実体がないと言うことが分かればよいといことになります。
その一方で、私達の心の中は貪りたいだとか怠けたいなど、自分の幸せしか考えられない我欲が渦巻いています。
そのため、「空」を絶対に認めないという気持ちが個人差はあるにせよ、多くの人は心の中にあります。
それが最終的には人間を、固定的な見方でしか見ることが出来なくなってしまいます。
つまり、固定的な見方と言うのは、我欲の表れであるといえます。

その智慧である「空」を体系化したものが般若心経です。
その中で、中心になるのは、その中の一説である「無苦集滅道」の中の「道」です。
このたった一文字であっても、それだけで多くの戦略を作ることが出来ます。
まず、「道」とは、実践すると言うことで、正しい実践活動という意味に取られることもあります。
ちなみに、この「無苦集滅道」のフレーズは般若心経全体の意味を包含している非常に重要なフレーズであると言えます。

八正道を正しく実践する

八正道とは、この世が「空」であると言うことが分かった人が幸せになるための実践の展開であると言えます。
全てが「空」であることが分かったひとが正しい実践をすれば、その人は必ず幸せになれるのです。
その正しい実践こそが八正道であると言うことになります。
それには、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定という8つの正しい実践の仕方があります。
また、自分を客観的に分析することも出来ます。

まずは正見しょうけんです。
全て素直に受け入れ、自分を取り巻く現実の環境を直視し、楽しいことも苦しいことも正面から捕らえ、その上で心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものとしりぞけると言うことです。
このように現実を厭うことが正見であるとすれば、人間の日常性を否定する消極的なもののように思われますが、その日常性の否定は、真実を積極的に追求することから生まれるから、かえって真実の認識の完成であるといえます。
当然のことながら嘘をつくことは、絶対にやってはいけないことです。

次に、正思惟しょうしゆいです。
これは日常のものを否定することを言います。
特に、財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲等の「五欲」からなる日常生活を否定するもので、それらの欲望をありのままで考え、そしてそれらを捨てることを思惟することです。
自己とは本来空たるものであり、その対極たる自己の欲望を捨てることで、空の状態に近づこうとするものです。

次の正語しょうごです。
妄語、綺語、両舌、悪口からはなれて正しい言葉を使おうとするものです。
これは、般若心経以外のお経にも出てきます。
これにより、人格の破壊を防ぐことが出来ます。

これに対しするのが正業(しょうごう)です。
生きているものを殺したり、物を盗んだり、邪な性的関係を持たないと言うことです。
それにより、自分と言う人間の人格を尊重し、高めていくことです。

その次は、正命しょうみょうです。
これに関しては「邪命を捨てて、正命によって命を営む」と言われるように、如法な生活を送ることこそが正命であると言われるように、間違った生活を完全に捨てた上で正しい生活をするということを目指すもので、その上で今やることは何であるか客観的に判断し、そしてそのことをしっかりとやることです。
人間は、生きるために正しくない手段を取りがちですが、どんな状況下であっても自らの人格を下げてはいけないと言うことの現れです。

これに関連し、僧侶には五種邪命が説かれます。
それは、仏の教えに背き、奇異の相を現じて己を敬わし、利養を貪ること。
種々の巧みな言葉や弁舌を以て自らを誇張し、人々に敬いの心を起こさしめて利養を貪ること。
人相や日時・方角によっていたずらに人心を惑わし、吉凶を占い利養を貪ること。
大言壮語し大衆を偽り、威儀を示し、畏敬せしめて利養を貪ること。
巧みに種々の利益を説き、人心を煽動して利養を貪ること等です。

そして、そのような生活はひたすら努力をすることによってのみ実現することが出来、それが正精進しょうしょうじんといえます。
そして、これが四正勤として既に生じてしまった悪を断つとか、まだ生じていない悪は起こさないようにすると同時にまだ生じていない善は起こすようにし、既に生じた善はこれをさらに良くしていくという形で説かれています。

次は正念しょうねんです。
これは、人は良いことや正しい事は忘れ、忘れた方がいい事は何時までたっても覚えているものですが、ここから自分のおかれている立場や、それを取り巻く環境について正しく知り、言うべきことであるか否か、聞くべきことであるか否か、意識するべきことであるか否かを念頭に置き、自らの意識を反省した上でどう行動するべきか自覚し、自らの心を律して責任ある行動をとるべきであると言うことです。

最後の正定は、精神を統一し正しい智恵を完成させることです。
人間にとって正しい智恵を完成させるためには今いる外界はそれの妨げになる誘惑が多く、そのためには、それに惑わされないようにする必要があります。
これが完成して始めて正見が完成します。八正道はそれぞれが有機的に結びついており、どれか一つでも欠けていると完成することはありません。

八正道とは、以上のような8つのことの実践であると言えます。
これらを完成させることで、人間が完成することになります。
この中で最も大事なものは正見であり、それを実践させる為の具体的方法が正思惟であるといえます。

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