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幸せをもたらす法(応用)

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幸せをもたらす法(応用)

占いと私

 多くの人は幸せになりたいと考えています。
また、今幸せだと感じてはいても、もっと幸せになりたいと思っている人も多いでしょう。

 私をはじめとする寺社仏閣本来の役割はお葬式や法事などの葬送儀礼的行為を行う事が目的であってはいけなくて、お釈迦様の智慧に基づき人々が幸せになるように奉仕する事です。
そもそも、私をはじめとする本来の役割は、仏教を広めるために建立されたもので、仏教を一言で表すと「お釈迦様の智慧を説いた教え」です。
私はそれを用いて幸せになるための方法を実践させる事で人々を幸せにする事が私をはじめとするお寺の本来の私達の役割なので皆さんに幸せになっていただきたいのです。

 仏様の教えは時代が下っていくとすこしずつ変化していき、そして中国に伝来するようになると護摩祈祷が一部の密教で取り入れられるようになり、それが日本にも伝わるようになりました。
そして、私のように、護摩祈祷を行う事が幸せにつながる事になりえるのです。
具体的には護摩木に自分の今のお願い事とお名前を書いてそれをご祈祷の際に燃やすのです。
それがたとえば私ではお不動様に直接届き、願い事がかなうのです。

 それでは、幸せになるための方法を伝授していくのですが、その前にこまったことや辛いことには何があるか具体的に述べていきましょう。
限りなくあるつらいことの中の代表例のうちのひとつとして挙げられるものとして病気。
まず、人間の体は若いときはまだいいですが、年齢を重ねてくると体がおとろえてきて非常に病気になりやすくなる。

 病気でつらくなるとそこばかり意識が集中するあまり、他のところに神経が行かなくなってしまい、その結果自分が本来やるべきことがやれなくなってしまいます。
病気というものはとてもつらいもので、私も誰もが避けて通りたいと思っていても、結局は私にも誰にでも訪れるものです。
ところが、これはいざ病気になってみると、つらいと思っていても治ってしまったり、また自分が最近まったく病気にかかっていないということになるとさも他人事であるかのようにふるまってしまいます。
しかし、それでもやはり逃げられない以上、実際になってみるとやはり苦しむことになってしまうのです。

 また、苦しみの中では子供に関するなやみがあります。
たとえばいい学校に入ってもらいたいと思っても入ってくれないから困ったり子供が社会的な問題を起こして困ったことになったり、子供の結婚の問題で悩んだりなどかなり気苦労が多く、大変だと感じている親は多いでしょう。

 それ以外の苦しみの例としては人間関係が挙げられます。
いろんな人と出会っていけば「あいつさえいなければ・・・」とか「あいつがどこか別のところに消えてくれればいいのに・・・」と思う人に出会うことも多いでしょう。
このようなことは例えばちょっとあいさつだけしてそれ以上は付き合わないといった関係のさほど深くない人との間ではあまり起こりませんが、関係が深くなって、利害関係などが生じてくるとさまざまな問題が生じてきやすくなってきてしまいます。

 これについても自分に関係があれば苦しむにもかかわらずそれが自分に関係ない状態だとさも他人事のようにふるまえてしまいます。
これについては他の苦しみにも同じことが言えます。それ以外にも、得たいと思っているものを得ることができない苦しみがあります。

 このように、生きている以上悩みや苦しみというものはかぎりがないといっていいほどたくさんあります。
仏教の世界では「地獄」という表現を使うことがよくありますが、この地獄とは何も死んだ後にしかないものであるというわけではなく、生きていることが苦しみに直結している以上、この世の中そのものが地獄であるという言い方もできてしまいます。

 そこで私たちはそのつらい世の中でさまざまな心の悩みや苦しみを通じて現世で修行をしているのですが、そのようなものをどのようにして幸せになる方向に転換させていくかといった事が重要になる。

 まず、仏教は仏様の心の教えを伝える事を目的としてるのです。
われわれは日常生活の中では「仏様」といえば死んだ人であるとか、木で出来ている仏像の意味で使われてる場合があるが、仏教の世界では「仏様」とは紀元前5世紀に古代インドの「シャーキャ族」という国で活動し、仏教を作りそして説かれたお釈迦様の事を指す場合が普通です。

 お釈迦様はもともとは非常に裕福な王国の王子としてお生まれになり、結婚して子供もおられました。
しかし後に「なぜこの世の中は地獄のような苦しみになっているのか」と考えただけではなく、「この世の中を何とか良い方向に導いていかなければならない」と心の中で考えるようになりました。そうしてるうちに29歳になって出家する事になる。この際には王国も財産も、そして妻子をも一切捨てて一人で6年間修行(かなりの苦行であったと言われている)をしていきました。そうしているうちにインドのブッダガヤと言う場所で35歳にして悟りを開くに至り、その悟った内容をインドの各地を歩きながら遊行という形で45年間も布教して広め続けたとされてるのです。

 その教えをもとに日本でもさまざまな宗派が作られていますが、もともとは同じところからきている。
あれから約2500年もこの教えはずっと続いています。
もしもこの仏教の教えがきゃしゃな存在だとしたらこのように長く続いてるはずがなく、このように非常に長く続いてるということはこの教えは非常に深いものを伝えているということです。
まず、この仏教の教えが何かという話になると、深い教えであるということでかなり多くの事柄を伝えようとしているものだと考える方もおられるかもしれません。
しかし実際はそうではなく、それは「お釈迦様が何を悟られたのか」というたったひとつのことだけです。

 そのお釈迦様が悟られた内容とは「縁」というものについてです。
「縁」について一言であらわすと、この世のものはすべて実体がなく心のかかわりあいでできてるということです。
このことはつまり、実体のないまわりの出来事は自分のまわりとのかかわりあい方しだいでかなり変化してくるということを意味し、まわりの人との関係も当然それによって変化するし、環境も自分のかかわり方しだいでがらりと変わってくるのです。
「縁」たる存在であるこの世のまわりには友人や仕事などさまざまなものがあります。
そのこの世の中心には自分自身がおり、周りの環境はその外郭部分に過ぎないため、自分の態度しだいでこの世は変わってくることになります。
無料占いでは「縁」を解明し幸せに導きます。

 ひとつよくあるたとえを紹介しましょう。
自分がこの世の中に汚れた心でかかわると苦しい環境ができあがってしまうもの。
たとえば嫁や姑に対し邪険な心で接するとそれはかならずといっていいほど相手からもまったく同じ心で返ってくる。なぜなら、こちらがそのような態度をとれば向こうはイラッと来るため向こうの心も同じ形に変化しやすくなってしまうからです。
このように、まわりの環境はかかわりあいでできている以上、それ次第でいかようにも変化してしまうということです。

 ただ、それについて気をつけようと思っても実際は人間は生まれたときから悪い心でかかわりあい、本能が自分の立場を擁護する習性がついているため、うまくいかないことがあるのです。
悪い態度やけがれた心の代表例としてはこのホームページの他の項目も参照されている方はよく理解していると思うのですが、貧瞋癡(とんじんち)といういわゆる三毒と呼ばれるものがあり、これでかかわると環境が悪くなって苦しむことの原因になってしまうのです。

 まずは「貧(とん)」というむさぼりの心で、たとえば財産があってももっとほしいというような自分が悪い心で接すればまわりも悪くなってしまうということは逆に言えば今の現状が悪いと思う人はその悪い態度を改めればまわりの環境もいい方向に変化していくということになります。

 次の「瞋(じん)」とは、怒る心やヒステリーのことを言います。
人はなぜ怒るかというと自分の思うように行かないからです。
それで頭にきて、何とかごり押ししようと思うからそれが怒りという心になってしまいます。
人は自分の思うようになってほしいと思っていますが、なかなか思うように行かないのが現状なので、それが直接的な怒りの原因になってしまいます。

 そして、「」と呼ばれる、なまける心という人間の本能にあるねむりたいとか休みたいという心の親玉のような心があります。
この心は生まれながらにだれからも教わらなくても自分の心の中に存在します。
これらの心で他人とかかわることがありますが、その他人はそういった心でかかわられることを非常にいやがります。
たとえばこちらが怒った態度で接すると相手も怒り返します。
それがこちらにも反射し、こちらの怒りもさらに増幅されるため、かぎりなく激しい大ゲンカになってしまいます。

相手の幸せ

 これをとめるための方法をお釈迦様は解明しました。
まず、仏教とは「慈悲の教え」(ちなみに、キリスト教は「愛の教え」)であると一般的にいわれているが、この「慈悲」とは、相手の幸せを心から願い、相手に楽をさせてあげるという事と同時に相手が苦しんでいればその相手の苦しみをなくしてあげる事で、それでその相手が幸せになったらその事を相手と共に心から喜ぶ事です。
無料占いも実践される方の幸せを心から願い進めていきます。

 多くの人は相手を助けたら口には出さないものの長いあいだ頭の中に残っているものです。
もし残ってしまっていたら相手を助ける事を自分が見返りをもらうためにやるためになってしまう為、その記憶を頭の中から消す必要があります。それを慈悲喜捨じひきしゃといい、四無量心と呼ぶ場合もある。

 また、もうひとつの方法として四摂法といい、お釈迦様が迷える人たちを救うために教授する4つの方法が存在する。
それは布施、愛行、利行、同事で構成されており、まずは「布施」について解説しましょう。
この布施とは相手にいろいろなものを与える事です。
通常この言葉はお金をあげる意味で使われる事が多いですが、ここではそれだけでなく物をあげるだとか、体でする布施や言葉による布施などさまざまなものがあります。
次の「愛行あいご」とは、やさしい言葉をつかって相手に親切に話しかけ幸せにする事です。
なぜなら、人は相手からこのように話しかけられることほど心がなごみ幸せになる事はないからです。
利行りぎょう()」とは、相手の利益を考えて仏道に入る様に誘導していく事です。そして、「同事どうじ」とは、相手の幸せを自分の幸せである様に自分と相手を同じくらい思いやる事です。
無料占いを実践される方が幸せだと私も幸せです。

 このような心でかかわっていくと右下の部分の様にその人のところに幸せがやってきます。
なので、汚れた心で相手にかかわるのではなく、左下のような清らかな幸せな心でこの世の中とかかわっていって幸せをつかむべきです。
この様に、この世の中は自分のかかわり方ひとつで幸せに生きる事ができるということです。
一見すると相手がさまざまなものを運んでくる様には見えても実際は自分自身が運んでくるため、貧瞋癡と四無量心、そして四摂法を頭において行動すべきでしょう。
たとえば、自分自身の怠ける行為が不幸せを運んでくるということになります。

 だからこそ、「あいつがいなければ」と思っていても、仮にその人がいなくなったところで同じようなことが起こることに変わりはありません。
なぜなら、自分に問題がある以上、また同じような相手は必ず現れるからです。
逆に、それをやめれば同じような人は現れにくくなるため、幸せに近づくことができます。
また、相手も喜ぶため、相手からもいいものをもらいやすくなり、それが幸せになることにつながります。

 このように、幸せになるためにはいろいろなことに気をつけなければなりませんが、このことは一種の修行のようなものであるといえます。
修行というと朝早く起こされて水をかぶったり座禅を組むような自分の直接苦痛を与えることを通じてやるものを連想される方が多いかとは思いますが、必ずしもそれだけではなく、普段生きていることこそが修行でもあります。
だから、貧瞋癡のある汚れた心で生きるのを慈悲喜捨などの幸せな清らかな心で生きることに転換させることも修行です。
なので、その意味での修行をやってみればよろしいかと思います。実践を継続することが修行となります。

 このように、私自身のかかわりあいによってこの世界は出現するといえます。
ところが、汚れた心は生まれたときから備わっているため、最初は幸せな清らかな心でこの世と接しようと思っても数日するとそれを完全に忘れてしまい、長続きしないといったことがあります。
そのため、この幸せな清らかな心で接するという方法も完璧ないわば特効薬だというわけではありません。
それゆえ、少しずつでいいのでできるだけ長続きするためにはどうすればいいか考えながらやってみると良いかと思います。

 このような考えができればまわりがどうなっているか簡単に予測がつきますが、普通はこのような発想はできません。
特に自分で一から考えることは至難の業ですが、これは先人が考えて今になってでも伝えられているものなので、一から考える必要はなく、それを有効活用すれば済むだけの話です。
これは2500年前から伝えられているもので、そもそも偽者であればこれほど長く続くことはありえないため、これは非常に有効であるといえるでしょう。

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